Q:
日本語は、文を最後まで注意して聴いていないと、意味が正反対になることがあると言われています。本當でしょうか。
Q:
據(jù)說日語中,如果不注意聽到最后一句話,意思就會完全相反。是真的嗎?
A:
ことばのしくみとしては確かにそうですが、それで誤解や混亂を招くことは、まずありません。
A:
作為語言的結(jié)構(gòu)確實是這樣,但是不會因此招致誤解和混亂。
解説
解釋
たとえば、次の文を比較してみましょう。
例如,比較一下下面的句子。
「私は學校に行きます。」
「私は學校に行きます。」(我去學校。)
「私は學校に行きません!
「私は學校に行きません!梗ㄎ也蝗W校。)
この場合、「…學校に行きま」までを聴いた段階では、そのあとが「~す」(肯定文)なのか「~せん」(否定文)なのかが、わかりません。一方、英語ではどうでしょうか。
這種情況下,在聽到「…學校に行きま」為止的階段,沒法知道接的是「~す」(肯定句)還是「~せん」(否定句)。另一方面,英語又是怎樣的呢。
“I go to school.”
“Idon't go to school.”
肯定文であれば“I”の直後に“go”が、また否定文であれば“I”の直後に“don't go”が來ています。つまりその時點で、肯定文か否定文かが判斷できます。こうした點を取り上げて、「日本語は最後まで聴かないと理解できない言語である」と言われているのです。
如果是肯定句的話,“I”后面接“go”,而如果是否定句的話,“I”后面接的則是“don't go”。也就是說,此時此刻就可以判斷句子是肯定還是否定。僅憑這一點,就可以說「日本語は最後まで聴かないと理解できない言語である」(日語是不聽到最后就無法理解的語言)。
ですが、実際に使われている言語として、このようなことによる「混亂」は、よく起こるものなのでしょうか。
但是,作為實際運用著的語言,經(jīng)常會因為這樣的事情而產(chǎn)生“混亂”。
ウェブ上でのアンケートで、「『きょうは、雨が…』『きょうは、雨は…』のあとには、どんなことばが続くと思うか」ということについて、尋ねてみました。すると多數(shù)派を占めたのは、「雨が…」のあとでは「降ります」〔=肯定文〕、「雨は…」のあとでは「降りません」〔=否定文〕でした。つまり、日本語を話す人の脳內(nèi)では、助詞が「は」であるか「が」であるかによって、次にどんなことばが続きそうなのかということを予測しながら、文を理解しているのだと考えられます。それだけに、一文の中でどんな助詞を選択して使うのかは、非常に重要なことです。
在網(wǎng)上的問卷調(diào)查中,我們對“你認為在『きょうは、雨が…』『きょうは、雨は…』之后是接什么樣的詞語呢”進行了詢問。于是,占多數(shù)派的是在「雨が…」之后接「降ります」(肯定句),「雨は…」后接「降りません」(否定句)。也就是說,在說日語的人的腦內(nèi),根據(jù)助詞是「は」還是「が」,來預測接下來會出現(xiàn)什么樣的詞語,從而理解句子。正因為如此,在一篇文章中選擇怎樣的助詞來使用是非常重要的。
「雨」というものは、「降る」のが普通です。このように「普通」のことを言う場合には、「雨が…」となることが多いのです。その反対に、本來「降る」ものである「雨」に関して「降らない」と言う場合には、「雨は…」となる傾向が強いようです。
「雨」后接「降る」是很普遍的,像這種「普通」的情況下,「雨が…」這樣的情況很多。與此相反,本來是「降る」的「雨」,如果說「降らない」的話,變?yōu)椤赣辘?hellip;」的傾向會很強。