現(xiàn)如今,「もしもし」已經(jīng)成為接電話時最常用的日語口語。這到底是從何而來呢?說起來,還有個很有趣的故事呢!
【日文版】
電話機は1876年アメリカ人から発明された。翌年、発明者本人が日本の宮內(nèi)庁に來られて実地で皇家に演じた。
1890年、日本の普通の平民が電話を使い始めた。最初は東京と橫浜で、當(dāng)時の電話使用申請者が僅かの230余人いたそうである。
しかしその時、日本語の中には「hello」を代える言葉がなかったから、アメリカで専ら電話を研究した加藤木という専門家は「もしもし」という言葉を創(chuàng)出して「hello」を代えた。
ただし、「もしもし」という言葉が創(chuàng)出されたが初めではやはりすぐに行渡る仕方がなかった。すると電話を掛ける時に「ウエー、ウエー」と叫んでいて、それから受ける人が始めて「エー、何のことがありますか」と答えた。數(shù)年の後、電話用語の答える言葉が「もしもし」に統(tǒng)一された。
今は普通と言えば、日本人は他人に電話を掛けると、先ずは自分の名前を言い、続いて「何々のお宅ですか」と問い、間違いない場合に始めて誰々を探したいか何々のことがあるなどの目的を話し出した。電話を受ける人も先ずは自分の名前を教えて、先ずに「もしもし」と言われる人が極少ない。
「もしもし」は普通、話中聲が聞こえないか向こうの人が答えない場合に使う言葉である。ただし、攜帯を普及してから普通先ずは「もしもし」と呼び、受ける相手は貴方の探したい人だからである。
家にただ女の人や私のように獨身家庭は普通警戒心があり、電話を受ける時にただ「はい」と答えて、向こうから相手の名前や目的を話してから始めて自分の身分を表明する。
でも、ビジネス場合で「もしもし」は社內(nèi)外を問わず使用しないのが一般的です。特に社外ではほとんど使われていないといっていいと思います。
【中文版】
電話是1876年美國發(fā)明的。第二年,發(fā)明者本人就到日本宮內(nèi)廳實地表演給皇家看。
1890年時,日本一般平民才開始使用電話。最初是東京和橫濱,據(jù)說當(dāng)時申請電話線的人僅有230多人。
但當(dāng)時日語中沒有可以代替「哈啰」的詞,于是曾在美國專門研究電話的一位名叫加藤木的專家,便創(chuàng)造出「莫西、莫西」這詞代替「哈啰」。
不過,「莫西、莫西」雖然被創(chuàng)造出,起初還是無法立即普及,于是有人在打電話時喊著「喂、喂」,然后接電話的人才回說「嗨,有什么事嗎?」數(shù)年后,電話的回應(yīng)詞才統(tǒng)一成「莫西、莫西」。
現(xiàn)在一般說來,日本人在打電話給人家時,第一句會先報出自己的姓氏,再問對方是不是某某家,若沒打錯,才報出要找某某人或有某某事等目的。接電話時,第一句也是先報出自家姓氏。很少有人會在第一句就說「莫西、莫西」。
「莫西、莫西」是在中途聽不到聲音,或沒人反應(yīng)時才會用到。不過,手機普及以后,一般通常都先喊出:「莫西、莫西」,因為接電話的一定是你想找的對象。
但是在商務(wù)場合,無論公司內(nèi)外一般都不用「もしもし」。特別是在公司外基本不用「もしもし」。